ろうそく足

週刊「へそゴロ」

週刊「へぇーそー!五郎久保」第3号(略して「へそゴロ」)

長崎村はいつまで?

大正15年10月1日、東京市北豊島郡長崎町となる。

豊島区は?

昭和7年10月1日豊島区誕生、東長崎駅前は長崎南町3丁目。

五郎久保はどこへ?
コーポ五郎久保(5-10-13)、五郎窪TSハイツ(5-20-10)に僅かに名残りを…、5の標識あり。

五郎久保マンションはなかったかな?
毎月五の日は縁日だった。決まって雨が降ったものだ。
露天商が所狭しと並び楽しかった。
西友辺りには、植木屋が出て木々が沢山売られたのも懐かしい。
今は跡形もない我が家自慢のバラもここで先代に買われた。
クリーム色の花を百は咲かせたものだ。

ところで、西友はいつできたの?
以前の駅舎と同時にオープンした。堂々の全店第一号店である。

しかしながら、一番小さい。
一時小さな公園の所まで拡張しそうだった(工事の予定も掲出された)が、敢え無く没となって今日に至る。
豊島区の公衆トイレも邪魔したようだ。
この建物はホームから見ると分かるが、白い船の形をしている。
開店時には屋上にはビアホールもあり、満艦飾で華やかだった。
子ども用の遊具も多少置かれていた。今いずこ?
今の駅舎も、当初はもう50メートル江古田寄りに移す予定だったらしい。
開通時よりの初乗り料金を保持するため、今の場所となったと聞く。
もしそれが強行されていたら、今頃は長崎銀座商店街(旧平和通り)には、更に閑古鳥が鳴きやまぬことだろう。

当時の運賃は?
大人10円、小人5円と記憶しているが、それ以前は知らない。
なんで、平和通り?
現在、レストラン・セヴィアン、養老の滝、松屋などの入っているビルを平和ビルという。

ここには、封切館の平和シネマがあった。
この商店街の主要メンバーの持ち物らしい。それに端を発するようだ。セヴィアンの一番奥がスクリーン、と以前マスターに聞いた。
その後、その二階はノーパン喫茶となる。お恥ずかしいが、発祥の地である。

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