ろうそく足

週刊「へそゴロ」

週刊「へぇーそー!五郎久保」第7号(略して「へそゴロ」)

ところで、長崎中学はいつ出来たの?

昭和23年、戦後の新制中学だな。

校長先生は?

都内初の女性校長、宇高らく先生。豊島第十高女(現都立豊島高校)の数学の先生だった。わが信者でその薫陶を受けて、同じく校長になられた教え子がいらした。多分、鬼籍に入られていることだろう。当時はモデルスクールである。
私も生徒会長時代に、創立20周年記念式典でお会いした記憶がある。確か、着物に袴姿でお出ましだったと思う。昭和43年のことである。
思い起こせば、月曜日の朝礼の「君が代」吹奏中、国旗が揚がりきらなかったこと頻りだった。会長の仕事のひとつである。

どんな学校だったの?

初期は木造二階建て校舎のみ、体育館は後から造られた。しかし、プールはなかった。椎名町小学校に借りに行ったものである。グランドも借り物、東京海上火災が隣接のグランドを所有していた。かなり広かった。区内随一だったかもしれない。
後に豊島区に売却、手許不如意のため全部買えなかったらしい。
落合南長崎駅隣がJR所有地もそのためである。国鉄時代に買い求め現在に至る。当時の区長は蓮を食べてなかった。

校舎の鉄筋化とプール新設は?

卒業後のことである。私たちは授業時間を割いて、クレンザーを付けて油まみれの床板をたわしで洗い、それからワックスで磨いたものである。そのお蔭で、当時の校長は指導室長に栄転した。

長中はいつまであったの?

平成19年3月、僅か10名の卒業生(田舎の分校みたい)を送り出して、59年の歴史を閉じた。なぜか?60年ではない。

長中の跡地は?

南長崎スポーツ公園となり、スポーツセンター、少年サッカー場も併設され、防災機能も備えた公園である。
平成25年7月に開園、約3,700坪の都市計画公園である。そして、長中の記憶を継承する記念碑も建てられているらしい。

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