ろうそく足

週刊「へそゴロ」

週刊「へぇーそー!五郎久保」第19号(略して「へそゴロ」)

 

平和通り(長崎銀座通り)が概略終わったようで、駅前に話を戻すことにする。(栄通り篇)

 

大野屋の右隣は?

渡辺歯科である。現在の院長は三代目だ。初代は現院長のお祖父さんだ。静岡は伊豆の出身、お祖母さんは長崎小学校前の生まれと聞く。娘さんが二人いらした。
初代院長は、立教大学野球部の後援会長を務められた。時あたかも長嶋茂雄が現役選手、砂押邦信(平成22年没87歳)が監督の時代である。この頃、立教グランドは現千早高校のところにあった。以前そこは牛込商業高校だった。その後、このグランドは現在の城北中央公園(板橋区)の場所に移転したらしい。それから、遺跡が発掘されたためか?埼玉県富士見市の富士見総合グランドへと移転する。
この初代院長は区会議員も務められた。定数が50名の時代である。無論、昭和の50年頃だろう。なかなか面白い先生だった。奥さんはもっと愉快だった。今はもう居られない。

その隣は?

今は「やるき茶屋」とマックと化しているが、その前はパチンコ屋「ゴールデンボール」、それ以前は日本通運いわゆる「丸通」だった。クロネコヤマトなどまだない時代のことである。
ところで、鉄道小荷物をご存じだろうか?一般には「チッキ」と言ったものだ。チェックの訛りと言われている。今から約30年前に廃止されたようだ。
和尚にも思い出がある。福井県三方(美浜の隣)のお寺から砂糖30キロを送ろうとした。師匠の虎の子である。自転車で郵便局に持っていくと、重くて断られた。仕方なく三方駅に運び、このチッキで送り届けた。勿論我が家にである。和尚16歳、師匠はこの件については死ぬまで何も言わなかった。師匠50歳、独身だったせいもあるが、師匠とは大変なものである。
チッキが着くと電話が来たものだ。重ければ届けてもらい、手で持てる物ならば、駅前の丸通に取りに行ったものである。発送する際は、「大塚駅留め」と書いた気がする。

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