ろうそく足

週刊「へそゴロ」

週刊「へぇーそー!五郎久保」第27号(略して「へそゴロ」)

喫茶「まあさ」の前は?

「福幸軒」だ。うどんの製造直売である。蒸し麺もあった。現在のようなインスタントはなかった、焼きそばはね。

その隣の美容院の一画は?

ミカド市場である。残念ながら、名前の由来を知らない。ラジオをかけっぱなしの「大崎海苔店」、路地の向かいが最後は「太子堂」の菓子、中に進むと玉子売りのおばさん、お味噌の量り売りの「吉良屋」、この店主は今でも、賀谷さんの踏切を渡った左手にお住まいがある。小さなマッチをよく貰った。「味噌、醤油」をひらがなで書いてあり、逆さまに見て「ゆうよしそみ」と読んだものだ。私たち兄弟の呼び名に似ていた。
線路際に向かうと、その手前によく太った肉屋のおばさんがいた。「つる屋」という。聖母坂のとっつき角が自店舗、そこから自転車で通っていた。ご夫婦での商いだった。市場がなくなる前に、ご主人は亡くなってしまわれた。今のような生ハムはないし、一般庶民は百グラム50円の赤い縁取りのプレスハムである。A、B二種類あったかな?その他のお店はあまり覚えていない。多分、あまり我が家で使わなかったのだろう。

「つる屋」を出て右側は?

今はマンションで、下は千円床屋である。以前はゲームセンター、その前は「太陽パチンコ」、その二階は「長崎飯店」だった。

その隣は「足立住宅社」である。当地の地主ゆえ創業は古い。最近、代が替わった。先代もお元気で96歳ここの隣に在住。

「まあさ」の並びに戻ろう。市場の隣の空き地は?

今年の半ばまで千円床屋があった。それが裏に越している。その前は「フジ薬局」である。御主人は阪大医学部出身、奥さんは看護師だった。御主人の話が面白く、女性ファンが跡を絶たなかった。冗談とユーモアのないまぜだったのかもしれない。

お豆腐だ。それもなんと!!10円。テレビでも盛んに騒がれた。確か「北沢食品」と言ったかな。この波がやがて、今また話題のトキワ荘への通り道のマーケットへと進んで行った。

その隣は?

現在はクリーニング屋になっているが、ここに「くわや」という天ぷらやがあった。隣のアジアンレストラン「ララ」の所には 「大平文具」と呉服の「三濱」があったと思う。

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